「倒置3」
外は大雨。
Histrorians have described how life periods became demarcated in Western societies over the past centuries. Only with industrialization and the appearance of a middle class and formally organized schools did childhood become a clearly difinable period of time.
demarcate: to mark by bounds; to draw the line
群馬大の問題です。
In my experience the problem of what to do in life was not made any easier by those who were in charge of education. Looking back, it seems most odd that never once in all the years that I was at school was there any general discussion about careers.
私の解答: 私の経験では人生において何を生業とすべきかが私の教育者のおかげで簡単になったとは全くいえない。振り返ってみると、私が学校にいた年月一度たりとも職業について視野の広い議論がなかったということは非常に奇妙なことに思える。
ぽいんと。
what to do in lifeは「人生において何をすべきか」ですが、この文脈においてこれは「人生における職業」と読みかえることができます。
どちらでもいいですが、後者の方が心証はよろしいでしょう。
さて、メインテーマの倒置ですが、よくいわれる「否定語・準否定語を伴う句が強調されて文頭にでれば倒置」はここでも健在といえましょう。
No... Hardly... Seldom... Little... Not only...などなど。
このほかにも倒置が起こる場合は多々ありますが、それは今後に預けましょう。
>>ゲルトガさん
私の経験上、人生において何をすべきかは、教育の責にある人によって簡単にされることは無かった。見返してみると、私が学校にいた全ての年月において一度も経歴についての一般的な議論が無かったのは、とても奇妙に思える。
オレンジ線。
careerの訳しかたもちょっとしたポイントでした。
果たして「経歴」がいいのかそれとも「職業」がいいのか。
答えは後者ですが、これは少し判断が難しいところです。
手がかりはall the years that I was at school「学校にいたすべての年月」というひとことです。
学生の議題によりふさわしいのは「職業」というわけです。
ただ、英語においてcareerは、「(人生のある一定以上のスパンを要する)経歴」、転じて「生業」という感覚なので、解釈をする段にあたってはどちらでもかまわないと思われます。
>>もちさん
Long time no see.
生活において何すべきかという問題を経験することは、教育に預かる人たちのおかげで少しもより楽になるようなことはなかった。振り返ってみると、私が学校にいた年月、一度も職業についてのどんな一般的討論も行われていなかったことが、非常に奇妙に思える。
赤線。
お気づきの通り、ここは構文の取り違えになります。
しかし後からでもミスに気づけたというのは、もちさんの強さだと思います。
こういう力は一種の才能ともいえます(私はミスっても120%スルーしてます)。
オレンジ線。
in lifeの訳出ですが、英文の後半がなければこれもOKだったでしょう。
しかし、後に「職業についての討論」とあるのでやはりここは「人生において」という訳がより適切であるように思われます。
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歴史家は、何世紀も西洋社会で人生の期間がどのように区分されてきたかを、記述してきた。工業化、中流階級の登場、そして公的に組織された学校があって初めて、子供時代というものが明瞭に区分けできる期間となったのだ。